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学術論文における一人称使用:定義、分野差、歴史、是非、ガイドライン、日英比較、実践的指針

論文 一人称
目次

1. 序論:学術的言説における一人称の定義

1.1. 一人称代名詞の定義

学術論文における一人称の使用とは、書き手自身を指し示す視点や代名詞を用いることを指す。英語圏の文脈では、これは通常、「I」(単数)、「me」、「my」、「we」(複数)、「us」、「our」といった代名詞の使用を意味する 。これらは、書き手が個人的な経験や視点を共有する際に用いられる視点であり、自伝やエッセイなどで頻繁に見られる 。

一方、日本語においては、「私(わたし)」、「我々(われわれ)」、「僕(ぼく)」、「俺(おれ)」など、多様な一人称代名詞が存在する。さらに、日本語における自己言及の概念は、単純な代名詞を超えて「自称詞(じしょうし)」というより広い枠組みで捉えられることがある。これは、話し手が自分自身に言及するすべて(あるいは特定範囲)の言葉を包括する概念であり、一人称代名詞はその一部に過ぎないとされる 。

例えば、教師が児童に対して「先生の言うことを聞きなさい」と言う場合や、母親が子に対して「ママの言った通りでしょ」と言うように、役割名や親族名称を一人称的に使用する用法が含まれる。このような自称詞の存在は、英語の比較的固定的な「I/we」システムと比較して、日本語における自己言及がより文脈依存的で、社会的役割と密接に結びついている可能性を示唆している。

1.2. 中心的な論争:客観性と著者性のバランス

学術論文、特に研究論文においては、伝統的に客観性が重視され、個人的な意見や経験よりも客観的な情報や分析を提示することに重点が置かれてきた 。この文脈において、「私」や「我々」といった一人称の使用は、主観性や偏見を示唆し、研究の信頼性を損なう可能性があるとして、多くの分野で長らく避けられてきた 。研究内容やデータそのものに焦点を当て、書き手個人の存在を前面に出さないことが、学術的な作法と見なされてきたのである 。

しかし、近年、この考え方には変化が見られる。一人称の使用が、むしろ文章の明確性を高め、著者の立場や主張を明確にし、より直接的で読みやすい文章を作成する上で有益であるという認識が広まりつつある。一人称を避けるために受動態を多用したり、回りくどい表現を用いたりすると、かえって誰が何を行ったのかが不明瞭になり、文章が曖昧になることがある 。例えば、「I will give three categories」と書く方が、それが著者自身の提示する分類であることが明確になり、「there are three categories」と書くよりも知的に誠実で説明責任を果たしていると見なされる場合がある。APAスタイルガイドなどは、著者(ら)が行った行為や、著者自身の見解であることを明確に示すために、一人称の使用を推奨している 。したがって、現代における論点は、単なる「主観性 対 客観性」という二項対立ではなく、客観性を担保しつつ、著者の責任と存在をどのように明確かつ適切に示すか、というより複雑な問題へと移行している。一人称の適切な使用は、主観性の導入ではなく、むしろ透明性と説明責任を高める手段となり得るのである。

1.3. 日本語の文脈:序論的概観

日本の学術論文、特に理科系の分野においては、依然として一人称代名詞「私」や「我々」の使用を避ける傾向が強い 。その代替として、受動態を用いることや、「筆者(ひっしゃ)」という語を用いることがしばしば推奨、あるいは慣習となっている 。

また、「本研究では」や「本稿では」といった表現を用いて、研究主体を明示せずに研究の行為や目的を記述することも一般的である 。

しかし、この「筆者」という代替表現の使用自体にも、その適切性や自然さについて議論が存在しており(後述)、日本語の学術界における一人称の問題は、単純な回避にとどまらない複雑さを持っている。

2. 学術分野による景観:慣習と頻度の違い

学術論文における一人称の使用は、分野によって大きく異なる慣習と許容度が存在する。

2.1. 自然科学・工学(理系)

歴史的に、自然科学や工学分野では、「I」や「we」といった一人称の使用は、客観性と非人称性を維持するために強く避けられてきた。研究プロセスや結果は、誰が行っても再現可能であるべきであり、研究者個人の主観が入り込む余地を極力排除することが重視されたためである。このため、「the observations were recorded」(観察結果は記録された)のような受動態構文が伝統的に多用されてきた。

しかし、近年では、特に英語圏において、この慣習にも変化が見られる。受動態は時として冗長で分かりにくい構文を生み出すため、明確性を高める目的で一人称の使用が許容される場面が増えている。具体的には、著者らが行った特定の研究活動を記述する場合(例:「We examined changes in sea levels…」(我々は海面水位の変化を調査した))、研究の位置づけや目的を明確にする場合(例:「We will show…」(我々は〜を示す))、あるいは、先行研究との比較において自らの研究結果や解釈を区別する場合などである 。特にAPAスタイルは、このような文脈での一人称使用を明確性の観点から推奨している。

ただし、この受容は限定的であり、論文のセクションによっても使用頻度は異なる傾向がある。「序論(Introduction)」や「考察(Discussion)」、「結論(Conclusion)」では比較的用いられやすいのに対し、「方法(Methods)」や「結果(Results)」のセクションでは、依然として三人称や受動態が好まれることが多い。これは、「方法」や「結果」の記述においては、研究の再現可能性や客観的な事実提示が特に重要視されるため、一人称の使用が研究の再現性に対する疑念を招きかねないと考えられているからであ

日本の理系分野における状況は、英語圏の動向とは異なり、依然として一人称代名詞(「私」「我々」)の使用を避ける規範が強い。多くの学会の投稿規定や執筆要領では、一人称代名詞の使用を原則として禁止したり、使用しない方がよいとしたり 22 する指示が見られる。どうしても必要な場合には、「筆者(ら)」という表現を用いることが推奨されることもある。また、CiNiiやJ-STAGEに収録されている理系論文の実例を見ると、「本研究では〜」といった形で、一人称代名詞を使わずに研究の主体や行動を示す表現が広く用いられていることが確認できる。

この理系分野における動向は、単なる一人称の受容・拒否という単純なものではなく、文脈に応じた使い分けが進んでいることを示している。すなわち、研究の枠組み設定や解釈といった著者自身の思考が関わる部分(メタ言説)では一人称が許容されつつある一方、研究手続きや結果報告といった客観性・再現性が求められる核の部分では非人称的な表現が維持される、という機能的な分化が見られる。

2.2. 人文科学(文系)

人文科学分野では、一般的に自然科学分野よりも一人称(特に「I」)の使用が広く受け入れられている。これは、人文科学の研究目的が、しばしば文学作品、歴史的事象、思想、芸術などに対する著者自身の分析、解釈、あるいは論証を提示することにあるためである。

この分野では、著者の明確な主張(Assertiveness)や、誰がどのように分析・解釈しているのか(Agency)をはっきりと示すことが価値を持つとされることが多い。したがって、「私は〜と論じる(I argue)」、「私の見解では(In my opinion)」といった形で、著者自身の立場や分析的視点を明示するために一人称が効果的に用いられる。また、研究上の発見に至るプロセスを物語る場合や、他の研究者の見解に異議を唱える場合などにも、「I」の使用が必要かつ適切とされることがある。論文の導入部で自身の主張を提示したり、結論部で研究を通して学んだことを述べたりする際にも、一人称が自然に用いられる。

日本語の人文科学分野においても、一般的な大学の執筆ガイドライン等では「私」の使用を避けるよう指示されることもあるが 、実際の論文では、特に著者の解釈や考察が中心となる場合や、個人的な経験や視点に基づく考察(例えばエスノグラフィーなど)を論じる際に、一人称が用いられる例が見られる。ただし、英語圏ほど積極的ではない可能性もあり、「本稿では〜」 や「〜と論じる」 といった表現を用いて、一人称代名詞を避けつつ著者の議論展開を示すことも一般的である。特定の学会ガイドラインでは、著者自身を指す場合に限り「筆者」の使用を認めている例もある。

人文科学における一人称の使用は、単なる主観性の表明ではなく、研究対象に対する著者固有の分析的視座や論点を明確にするための重要な手段として機能していると言える。研究者自身が分析の「道具」あるいは「視点」そのものである場合が多いため、その存在を「I」によって明示することが、議論の透明性を高める上で有益だと考えられているのである。

2.3. 社会科学

社会科学分野における一人称の使用は、自然科学と人文科学の中間に位置し、分野や研究方法によって慣習が混在している 。

一部の社会科学者、特に計量的なアプローチを用いる研究者は、自然科学と同様に客観性を重視し、「I」や「we」の使用を避ける傾向がある。データ分析や統計的結果の提示においては、非人称的な記述が好まれることがある。

一方で、質的研究、事例研究、エスノグラフィー、批判的分析など、研究者の解釈や視点、研究プロセスへの関与が重要な意味を持つ研究アプローチにおいては、一人称の使用がより広く受け入れられつつある。研究者の立場性(Positionality)を明示したり、特定の観察や解釈が自身の視点に基づくことを明確にしたりするために、一人称が用いられる 。例えば、哲学や宗教学、芸術分野など、ある概念が個人に与える影響を考察する際には、一人称が効果的な場合がある。

また、社会科学分野で広く用いられるAPAスタイルが、明確性の観点から一人称の使用を推奨していることも、その受容を後押ししている側面がある。

日本語の社会科学分野における慣習も多様であると考えられる。一般的な執筆指導では「私」を避けるよう言われるかもしれないが、研究の内容や方法論によっては、著者の立場を明確にする必要性から一人称が使われる可能性もある。依然として、「筆者」の使用や「本研究では」といった定型表現も広く見られるだろう。

社会科学における一人称使用の多様性は、この学問分野が持つ方法論的多様性を反映していると言える。客観的なデータ分析を主とする研究では科学的な慣習に近づき、解釈や意味づけ、社会批判などを中心とする研究では人文科学的な慣習に近づく傾向が見られる。

表1:主要学術分野における一人称使用の傾向概要

項目自然科学・工学 (理系)社会科学人文科学 (文系)
全体的傾向歴史的に回避。近年、英語圏で限定的に受容(特にAPA)。日本語では依然回避傾向強い。混合的。分野・方法論による。英語圏(特にAPA準拠)で受容拡大。比較的広く受容(特に英語圏MLA)。著者自身の分析・主張が中心。
主な使用文脈英語圏:序論・考察での研究の位置づけ、方法記述の一部(行為主体明確化)、先行研究比較。日本語:稀。「筆者」「本研究では」が主。英語圏:研究者の視点・方法記述、事例研究、質的研究、先行研究比較。日本語:文脈によるが「筆者」「本研究では」も多い。英語圏:議論・解釈の提示、発見プロセスの叙述、先行研究への反論。日本語:解釈・考察部分、「本稿では」「論じる」など 。
回避される傾向結果・方法の客観的記述 。日本語では全体的に回避 。計量研究の結果報告など客観性重視の場合。冗長な「I think」など。過度の個人的感情、主題から逸脱する自己言及。
一般的な代替表現受動態、無生物主語構文 。日本語:「筆者(ら)」、「本研究では」。受動態、三人称(the researcher等、ただしAPA非推奨 )。日本語:「筆者」、「本研究では」。三人称。日本語:「筆者」、「本稿では」。
関連スタイルガイドAPA(英語圏で影響力増)、各種専門学会規定(日本語では禁止・注意喚起が多い )。APA(広く使用、一人称推奨 )、Chicago(分野による)、MLA(一部で使用)。MLA(許容、レトリック的選択 )、Chicago(許容、文脈依存)。

この表は、各分野の大まかな傾向を示すものであり、個々のジャーナルや研究領域、指導教員の意向によって実際の慣習は異なる場合がある点に留意が必要である。

3. 歴史的視点:一人称使用の変遷

学術論文における一人称の使用に関する規範は、固定的なものではなく、時代とともに変化してきた。

3.1. 英語圏アカデミック・ライティングにおける変遷

20世紀初頭から中盤にかけては、英語圏の学術界においても一人称代名詞の使用は必ずしもタブーではなかった。例えば、DNAの二重らせん構造を発見したワトソンとクリックによる1953年の著名な論文でも、導入部で著者らの見解を示すために第一人称(we)が用いられており、当時一人称がある程度受け入れられていたことを示している。

しかし、20世紀中盤、特にストラrunkとWhiteによる影響力のあるスタイルガイド『The Elements of Style』(初版1918年、後に広く普及) などの影響もあり、学術的文章においては客観性と非人称性を重んじ、書き手自身を背景に置くべきであるという考え方が主流となった 。この「一人称禁止」の風潮は、「I」や「we」の使用を避け、受動態や三人称構文(例:「the author」)を多用するスタイルを推奨した 。この規範は、多くの学生や研究者にとって長らく標準的なものとして教えられてきた。

ところが、20世紀後半から現在にかけて、この規範に対する見直しが進み、再び一人称の使用を受容、さらには推奨する動きが顕著になっている。このパラダイムシフトの背景には、受動態の多用がもたらす曖昧さや冗長さを避け、文章の明確性(Clarity)を高めたいという要求がある。また、研究者が自らの主張や方法論に対して責任を持つ(Ownership/Accountability)という観点からも、行為主体を明確にする一人称の使用が再評価されている。APAスタイルガイド第7版が一人称の使用を明確に推奨していることは、この変化を象徴している。

このように、英語圏における「一人称禁止」のルールは、学術ライティングの普遍的な原則ではなく、特定の時代に優勢だった一つのトレンドであったことがわかる。その衰退は、客観性と並んで、明確性や著者の説明責任といった価値が、優れた学術スタイルを構成する要素として再認識された結果と言える。特定のスタイルガイドの影響力が、規範の形成と変化に大きな役割を果たしてきた点も注目される。

3.2. 日本語における使用に関する歴史的注記

日本語には、古くから多様な一人称代名詞が存在し、その使用法やニュアンスは時代とともに変化してきた。例えば、「僕(ぼく)」はかつて謙譲語としての敬意が高かったが、武家階級の使用などを経て、幕末(1860年代)には謙譲性の低い語となり、明治時代には書生などが愛用し広く普及した。

しかし、学術論文という特定のジャンルにおける一人称使用の歴史的変遷については、提供された資料からは詳細を読み取ることが難しい。ただし、現在、特に理系分野を中心に一人称代名詞を避ける強い傾向が見られることは、英語圏で見られたような「一人称禁止から受容へ」という明確な揺り戻しとは異なる独自の発展、あるいはより強固な非人称性の維持があった可能性を示唆している。

後述する「筆者」という代替表現が、特に2000年代以降の大学教育で指導されるようになったという指摘 も、日本語の学術界における一人称回避の慣習が、独自の背景と経緯を持っていることを示唆している。英語圏の動向を単純に模倣したのではなく、日本語の言語的特性(多様な一人称、主語省略の可能性など)や、文化的コミュニケーション規範(間接性、形式性重視など)と相互に影響し合いながら、非人称性を重視するスタイルが維持・強化されてきたのかもしれない。

4. 「私」と「我々」を用いることの利点

一人称代名詞を学術論文で使用することには、いくつかの明確な利点がある。

4.1. 明確性と正確性の向上

一人称を使用する最大の利点の一つは、文章の明確性を高めることである。受動態構文は、誰が行為の主体であるかを曖昧にすることがある(例:「実験が行われた」では誰が実験したのか不明)。これに対し、「We conducted the experiment」(我々が実験を行った)のように一人称を用いることで、行為の主体が明確になり、誤解の余地が減る。特に、方法論の説明や特定の観察・分析結果の報告において、誰が何を行ったのかを正確に伝えることは、研究の透明性を高める上で不可欠である。

また、一人称を避けようとすることで、不自然で回りくどい言い回しや、冗長な構文が生じることがある。一人称を適切に用いることで、より簡潔で直接的な表現が可能となり、文章全体の分かりやすさが向上する。さらに、著者自身の仮説や結論を述べる際に一人称を用いることで、それが引用された他の研究者の見解ではなく、著者自身の主張であることが明確になる 。

4.2. 著者の立場と責任の明確化

一人称の使用は、著者が自身の研究における立場、主張、貢献を明確に表明することを可能にする。「I argue」(私は〜と主張する)、「We propose」(我々は〜を提案する)、「We conclude」(我々は〜と結論づける)といった表現は、著者がその主張に対して責任を負っていることを示す。これにより、著者の研究プロセスや結果に対する主体性(Agency)と所有権(Ownership)が強調される。

客観性を装うために非人称的な表現を用いるよりも、自身の視点や解釈であることを「I」や「we」を用いて明示する方が、むしろ知的に誠実(Intellectually honest)であり、説明責任(Accountable)を果たしていると見なされる場合がある。特に、既存の研究に対して新たな視点を提示したり、独自の方法論を用いたりする場合には、その独自性を強調するためにも一人称が有効となる。

4.3. 可読性とエンゲージメントの向上

能動態は、一般的に受動態よりも直接的で簡潔であり、読者にとって理解しやすいとされる。一人称の使用は、能動態での記述を促進し、文章の可読性を高める効果がある。研究の方法論を説明したり、議論を展開したりする際に一人称を用いることで、読者との間に直接的なつながりを生み出し、より引き込まれる(Engaging)文章になる可能性がある。また、過度に形式張った印象を和らげ、独断的(Dogmatic)に聞こえるのを避ける効果も期待できる。

4.4. 著者自身の声の区別

学術論文、特に文献レビューや考察部分では、先行研究の成果や見解に言及し、それらと自身の研究結果や主張とを比較・対照することが頻繁に行われる。このような文脈において、一人称の使用は、著者自身の貢献(行ったこと、発見したこと、主張すること)と、引用している他の研究者の貢献とを明確に区別するために極めて重要である。例えば、「Jones (2020) found Y, whereas we found X」(Jones (2020)はYを発見したが、我々はXを発見した)のように記述することで、誰の発見であるかが明確になる。

これらの利点を総合すると、一人称を学術論文で適切に使用することは、単に個人的な意見を述べることではなく、著者としての役割(行為者、解釈者、主張者として)を明確にマークすることで、より透明性が高く、直接的で、説明責任を果たしたコミュニケーションを実現する手段となり得る。かつて非人称性が自動的に優れた学術性を示すと考えられていたのに対し、現代では、著者の存在を明示することが、むしろ研究の質を高める場合があるという認識が広がっているのである。

5. 「私」と「我々」を避ける理由:欠点と慣習

一方で、学術論文において一人称の使用を避けるべきとされる伝統的な理由や、潜在的な欠点も存在する。

5.1. 客観性と非人称性の維持

一人称を避ける最も古典的かつ一般的な理由は、客観性を損なう可能性があるという懸念である。「私」や「我々」という言葉は、書き手の主観や個人的なバイアスを文章に持ち込むと見なされやすく、科学的・学術的な著作に求められる公平性や普遍性の印象を損なう恐れがある 。

学術的な議論においては、研究対象やデータそのものに焦点を当てるべきであり、研究者個人の存在は前面に出すべきではない、という考え方が根強く存在する 2。特に、実験結果の再現可能性が重視される分野では、方法や結果の記述において非人称的な表現を用いることが、研究の客観性を担保する上で重要だと考えられている。

5.2. 慣習と形式性への準拠

多くの学術分野や特定のジャーナルでは、歴史的に一人称の使用を避けるという慣習が確立されてきた。研究コミュニティの一員として、あるいは特定のジャーナルに論文を掲載するためには、これらの暗黙または明示的な規範に従うことが期待される場合がある。一人称の使用は、学術的な文章に期待される一定の形式性(Formality)や改まったトーンにそぐわない、あるいはカジュアルすぎると見なされる可能性がある。

5.3. 誤用と否定的な印象の可能性

一人称は、使い方を誤ると否定的な印象を与える可能性がある。過度な使用は、読者にとって耳障りであったり、自己中心的(Narcissistic)に見えたり、主題から焦点がずれてしまう原因となり得る。

また、「I think」「I believe」「I feel」といった表現は、多くの場合冗長である。なぜなら、特に引用が付されていない主張は、通常、著者自身の見解であると見なされるからである 。これらの表現は、文章を弱め、客観的な根拠に基づかない単なる個人的な意見であるかのような印象を与えかねない。

5.4. 日本語特有の問題:「私」対「筆者」のジレンマ

日本の学術界、特に理科系の分野では、「私」や「我々」といった直接的な一人称代名詞を避ける強い文化的・教育的伝統が存在する。この回避策として、「筆者(ひっしゃ)」という語が、形式性と客観性を保つための代替表現としてしばしば推奨され、実際に用いられている。

しかし、この「筆者」の使用には、以下のような批判や問題点が指摘されている。

  • 不自然さとぎこちなさ:「筆者」は元々、「訳は筆者による」といった特定の文脈で使われることが自然な表現であり、単に「私」の代わりに主語として多用すると、文章が硬くなり、不自然でぎこちない印象を与えることがある 。
  • 教育的背景への疑問:大学などで「私ではなく筆者と書け」と指導されることが、「筆者」という一人称的使用が広まった一因とされるが 、この指導自体が、「私を避ける」という指示を単純化・誤解した結果である可能性が指摘されている 。本来は、主語として「筆者は〜」と書くことを推奨する意図ではなかったのではないか、という疑問である。
  • 評価の分かれるトーン:「筆者」を用いることで、感情を抑えた抑制的なトーンで書けるという利点を挙げる意見もある一方で 、過度に形式的で、読者との距離を感じさせるという見方もある。
  • 必要性への疑問:文脈から著者の行為や意見であることが明らかな場合に、わざわざ「筆者」という語を使う必要性自体が疑問視されることもある 。
  • 曖昧性の可能性:一部の学会ガイドラインでは、「筆者」は著者自身(一人称)を指す場合にのみ用いる、とわざわざ規定している例もあり 、その使用法に混乱が生じ得ることを示唆している。

このように、日本語の学術文書における「筆者」という慣習は、形式性・客観性の要請と、著者自身への言及の必要性との間で生まれた、日本独自の妥協策あるいは代替戦略と見ることができる。しかし、この解決策自体が、その起源や実際の使用法において問題をはらんでおり、必ずしも普遍的に受け入れられた最適な方法とは言えない状況にある。これは、日本語の学術的言説の中で、著者の存在と客観性のバランスをどのように取るかという固有の課題が存在することを示している。

6. ルールのナビゲーション:スタイルガイドの推奨事項

主要なスタイルガイドは、一人称の使用に関してそれぞれ異なる、あるいは進化する指針を示している。

6.1. APA (American Psychological Association) スタイル (主に第7版)

APAスタイル第7版は、学術論文における一人称代名詞(単著者の場合は「I」、共著者の場合は「we」)の使用を明確に推奨している。これは、明確性(Clarity)と正確性(Precision)を高めるためであり、「一人称を使ってはいけない」という通説(Myth)は誤りであると明言している。

具体的には、著者(ら)が行った研究活動(例:「I surveyed 2,900 adults…」(私は2900人の成人を調査した)、「We analyzed the data…」(我々はデータを分析した))を記述する際に用いるべきとされる。これにより、誰が何を行ったかが明確になり、受動態による曖昧さを避けることができる。

また、著者自身を三人称(例:「the author」「the researchers」)で言及することは避けるべきである。さらに、「編集者のwe」(Editorial we)、すなわち読者を含む不特定多数の人々を指す「we」の使用も避けるべきであり、もし広範な集団を指して「we」を用いる場合は、その集団を明確に定義する必要がある(例:「As young adults, we often worry…」)。

著者自身の見解や解釈を述べる際に一人称を用いることは許容されるが、「I believe」のような冗長な表現は、それが著者自身の主張であることが文脈から明らかな場合は避けるべきである 5。APAスタイルは、特に社会科学分野で広く用いられている 。

6.2. MLA (Modern Language Association) スタイル

MLAスタイルは、一人称の使用を厳密には禁止しておらず、許容している。それをレトリック上の選択肢(Rhetorical choice)の一つと見なしている。

特に人文科学分野において、自身の発見プロセスを物語る、他の研究者の見解に異議を唱える、あるいは単に明確性や直接性を期すといった目的で、一人称の使用がしばしば適切とされる。文学分析や論証的なエッセイにおいて、「I argue」のような表現で自身の立場を明確に示すこともできる。

ただし、MLAでは一人称の乱用は避けるべきとされる。過度な使用は文章を個人的すぎるものにしたり、主題から焦点を逸らしたりする可能性があるため、控えめに(sparingly)用いることが推奨される。APAと同様に、冗長な「I believe」といった表現は避けるべきである。読者や目的に応じて、三人称の方がより効果的な場合もあるため、状況に応じた判断が求められる 3。個人的な体験談(Personal narrative)を記述する場合は、当然一人称が用いられる。

6.3. シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル (CMOS) / Turabian

シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル(CMOS)は、一人称の使用を許容している。「一人称代名詞が必要な場合は、使いなさい。そうすることは不遜ではなく、使わないことの方がむしろ迷信的である(superstitious)」(CMOS 5.250) と述べている 63

CMOSは、一人称を避けることがかつては適切とされていたが、現在では非常に形式的(formal)あるいは時代遅れ(old-fashioned)と見なされることもある、と様々な意見が存在することを認めている。著者自身を「this author」と呼ぶことも、形式的ではあるが間違いではないとされる。

学生向けのTurabianスタイル(CMOSの姉妹版)では、より慎重な(judicious)使用を推奨している。具体的には、「I think」や「I believe」で文を始めること、研究プロセスを逐一報告するような記述(「まずこれをし、次にこれをした…」)、読者を含む「we」や一般的な人々を指す「we」の使用は避けるべきだと助言している。

一方で、著者自身が実際に行ったことや計画していることを記述するために、時折(occasional)一人称を用いることは、文章をより独断的でなく、自然に響かせる効果があると指摘している。CMOSの使用は文脈依存性が高く、分野によっても慣習が異なる可能性がある。一部の解説ではシカゴスタイルは一人称を避ける傾向があるとも述べられているが 、CMOS自身のQ&Aはより許容的な立場を示している。

6.4. 日本の学術学会・ジャーナルのガイドライン

日本の学会やジャーナルの投稿規定・執筆要領を見ると、一人称の使用に関して、英語圏の主要スタイルガイド(特にAPA)とは異なる、より保守的な傾向が見られることが多い。

  • 多くの規定、特に科学技術分野のものでは、抄録や本文における一人称代名詞(「I」「we」「私」「我々」)の使用を原則禁止または非推奨としている [ (精密工学会), (日本健康教育学会), (愛媛県総合科学博物館)]。
  • 三人称視点 や受動態の使用が推奨されることがある。
  • 一部のガイドラインでは、「筆者」という語は著者自身を指す場合にのみ用いるべき、という具体的な指示が見られる [ (日本地理学会)]。
  • 一方で、多くの学会の執筆要領は、文字数、フォント、引用形式、参考文献リストの書き方といったフォーマットに関する規定が中心であり、一人称の使用について明示的に言及していない場合も少なくない [ (溶接学会), (情報システム学会), (日本金属学会), (日本地理学会), (日本色彩学会), (国際公共経済学会), (日本経営学会), (日本観光学会), (日本民俗学会)]。このような場合、当該分野やジャーナルにおける慣習に従うことが暗黙的に求められる。
  • 特定の用語(例:「一人称」)の表記法(漢数字使用)に言及するガイドラインもある [ (日本言語音声学会)]。

これらの状況から、スタイルガイドの推奨事項は決して一枚岩ではなく、時代や分野、言語圏によって大きく異なることがわかる。APA第7版は明確な受容へのシフトを示し、シカゴは変化を認めつつも慎重さを促し、MLAは柔軟性を認めている。対照的に、日本のガイドラインは、特に理系分野において、依然として一人称回避を推奨する傾向が強い。このことは、学術論文を執筆する際には、一般的なアドバイスに頼るだけでなく、投稿先のジャーナルや所属機関が定める具体的かつ最新のガイドラインを必ず確認し、それに従うことの重要性を強く示唆している。

表2:主要スタイルガイドにおける一人称使用ガイドライン比較

項目APA 第7版MLA 第9版Chicago 第17版 / Turabian 第9版日本の一般的傾向(特に理系)
「I/We」へのスタンス推奨 (Clarity/Precisionのため) 許容 (レトリック的選択) 許容 (必要なら使うべき) 。Turabianは慎重使用を推奨 。一般的に非推奨・禁止 。
推奨される使用文脈研究活動の記述 (例: “I surveyed”)、著者の主張・解釈の明示 。著者の視点・議論の提示、発見プロセスの叙述、先行研究への反論。著者の行為・計画の記述 (時折) 。CMOSは必要ならいつでも可。稀。必要な場合は「筆者」を使用。
回避すべき使用法三人称での自己言及 (“the author”)、編集者の “we”、冗長な “I think” 。過度の使用、個人的すぎる内容、冗長な “I believe” 。冗長な “I think”、研究プロセスの逐一報告、王侯の “we”、一般的な “we” 。ほぼ全ての一人称代名詞。
推奨される代替表現(一人称使用が推奨されるため少ない)三人称。受動態、三人称 (“this author” も可だが形式的) 。受動態、無生物主語、「筆者(ら)」、「本研究では」、「本稿では」。

7. 文化的側面:日本語と英語の慣習比較

学術論文における一人称使用の慣習の違いは、単なるスタイルの問題だけでなく、日本語と英語それぞれの言語的特性や、背景にある文化的なコミュニケーション規範とも関連している可能性がある。

7.1. 代名詞システムと自己言及

日本語は、極めて多様で複雑な一人称代名詞(私、わたくし、あたし、僕、俺、自分、わし、うち、等)および自称詞(先生、ママ、など)の体系を持っている 。これらの使い分けは、話し手の性別、年齢、社会的立場、聞き手との関係性、場面のフォーマルさ、表現したい自己イメージ(アイデンティティ)など、様々な社会的・文脈的要因によって決定される 7

一方、英語における一人称は、基本的に「I」(単数)と「we」(複数)に集約されており、日本語のような豊富な社会的ニュアンスは含まれていない 。

この言語的な違いは、学術論文における一人称選択にも影響を与えうる。英語で「I」を使うか「we」を使うかは主に著者数による判断だが、日本語でどの一人称代名詞(あるいは自称詞)を選択するかは、より複雑な社会的判断を伴う。学術論文という極めてフォーマルな文脈において、特定の社会的含意を持つ可能性のある一人称代名詞の使用を避け、より中立的・非人称的な表現(受動態や「筆者」など)を選択する傾向が強まることは、この言語的背景から理解できるかもしれない。

7.2. 主語の省略と文法構造

日本語の文法は、文脈から主語が明らかな場合に、主語(一人称代名詞を含む)を頻繁に省略することを許容する 。これにより、話し手や書き手の存在を前面に出さずに、事柄や状況を描写することが可能になる。これは、間接的で含意的なコミュニケーションスタイルを可能にする一因とも考えられる。

対照的に、英語の文法は、通常、文に明確な主語を要求する 。たとえ代名詞であっても、主語を省略することは稀である。この文法的な制約は、行為の主体を明示する傾向を促し、一人称の使用がより自然、あるいは必要とされる場面を生み出しやすい。

7.3. 文化的方向性:客観性、謙譲、直接性

日本の学術界における一人称回避の強い傾向は、客観性や形式性を重んじる学術的規範に加え、より広範な日本文化におけるコミュニケーション様式、例えば、直接的な自己主張よりも間接的な表現や状況への配慮、謙譲の美徳などを反映している可能性も考えられる 。「筆者」という表現や受動態の使用は、書き手とテクスト、あるいは読者との間に一定の距離を保ち、個人的な感情や主張を抑制する効果を持つ。

一方で、英語圏の学術界(特に近年の動向)における一人称受容の高まりは、直接性(Directness)、個人の説明責任(Accountability)、自己の意見や立場を明確に表明すること(Assertiveness)を重視する文化的価値観と関連している可能性がある 。

このように、学術論文における一人称使用の慣習の違いは、単なる恣意的なルールではなく、それぞれの言語が持つ構造的な特性(代名詞体系、主語の扱い)と、それぞれの文化圏における自己表現、他者との関係性、客観性や直接性に対する考え方といった、より深いレベルでの相違が相互に影響し合った結果として形成されている可能性がある。日本語のシステムは、より間接的で文脈に依存した表現を可能にする一方、英語のシステムはより明示的な主語表示を促し、これが学術散文における著者性の扱いの違いにつながっていると考えられる。

8. 結論:学術論文執筆者のための実践的指針

学術論文における一人称の使用は、多くの要因が絡み合う複雑な問題である。本稿での分析を踏まえ、執筆者がこの問題に効果的に対処するための実践的な指針を以下に示す。

8.1. 統合:主要なポイントの再確認

  • 一人称の使用に関する普遍的な単一ルールは存在せず、その適切性は文脈に大きく依存する。
  • 慣習は学術分野(自然科学、人文科学、社会科学)によって著しく異なる。
  • 英語圏の学術界(特にAPAスタイル)では、明確性や著者性の観点から「I/we」の使用を受容・推奨する傾向が強まっている。
  • 日本の学術界では、依然として直接的な一人称代名詞(「私」「我々」)を避け、受動態や「筆者」といった代替表現を用いる強い慣習が、特に理系分野で見られる。ただし、「筆者」の使用には議論もある。
  • 主要なスタイルガイド(APA, MLA, Chicago)や各学会・ジャーナルの規定は、時に相反する指針を示すため、個別の確認が不可欠である。
  • 言語構造(代名詞体系、主語省略)や文化的背景も、一人称使用の慣習に影響を与えている。

8.2. 効果的な使用法(適切な場合)

一人称の使用が許容または推奨される文脈においては、以下の点を考慮すると効果的である。

  • 目的意識を持つ: 明確性を高める(例:方法論の正確な記述 )、自身の主張や貢献を明確にする 、自身の研究と他者の研究を区別する 、主張に対する責任を明確にする、といった明確な目的を持って戦略的に使用する。
  • 特定の動詞との組み合わせ: 執筆や思考プロセスに関連する動詞(例:「論じる(argue)」「示す(demonstrate)」「分析する(analyze)」「結論づける(conclude)」)や、特定の研究活動を示す動詞(例:「調査した(surveyed)」「測定した(measured)」)と共に用いると効果的なことが多い 。
  • 適切なセクション: 序論(論文の目的や主張の提示)、考察(結果の解釈や結論の提示)、そして時には方法(著者の行為の記述)で用いられることが比較的多い。結果セクションでの使用は、分野によっては慎重さが求められる 。

8.3. 避けるべき注意点と落とし穴

一人称を使用する際には、以下の点に注意し、潜在的な問題を回避する必要がある。

  • 過度の使用: 「I」や「we」の繰り返しは、読者の注意を散漫にさせたり、自己中心的な印象を与えたりする可能性があるため避ける 。控えめに(sparingly)使用する 。
  • 冗長な表現: 「I think」「I believe」「In my opinion」といったフレーズは、著者の主張であることが自明な場合には不要であり、文章を弱める可能性があるため使用しない 。
  • 文頭での使用: 習慣的に文頭で「I」や「we」を使用すると、不必要に著者自身に注意が向いてしまう可能性があるため、避けるのが無難である 。
  • 曖昧な「We」: 「we」は共著者のみを指すように明確に使用する。読者を含めたり(編集者のwe)、不特定多数の人々を指したりするために用いるべきではない(もし用いる場合は明確な定義が必要)。
  • 非公式なトーン: 一人称の使用が、文脈に対して過度に非公式(informal)または主観的(subjective)な印象を与えないよう、常に学術的なトーンを維持する 。
  • 二人称(「You」): 正式な学術論文においては、一般的に「you」の使用はカジュアルすぎると見なされるため避けるべきである 。

8.4. 日本語と英語の文脈を navigated する

  • 読者を意識する: 日本語で日本の読者やジャーナルに向けて書く場合は、特に「私」「我々」の使用を避けるという一般的な規範に敏感である必要がある。受動態、「本研究では」、あるいは(批判を念頭に置きつつ)「筆者」といった標準的な代替表現の使用を検討する。
  • 「筆者」を用いる場合: もし「筆者」を用いるのであれば、一貫性を保ち、単に「私」の置き換えとして不自然にならないよう注意する。伝統的な用法(例:「訳は筆者による」)も参考に、文脈に合った使い方を心がける 。
  • 英語で書く場合: 英語で、特にAPA、MLA、あるいは現代的なChicagoスタイルに従う国際的なジャーナルに向けて書く場合は、明確性や主体性の表明が求められる箇所で「I/we」を使用する準備をしておく。特定のスタイルガイドの推奨事項に従い、日本語の回避戦略(例:「the author(s)」の多用)をそのまま持ち込まないように注意する(現在の英語ガイドラインでは非推奨の場合が多い )。

8.5. 最終的な黄金律

これまでの分析や一般的なアドバイス以上に重要なのは、以下の実践的な原則である。

常に、投稿先のジャーナル、学会、あるいは所属機関(指導教員を含む)が提供する具体的な投稿規定や執筆要領を確認し、それに従うこと。

これらの具体的な指示は、一般的な傾向や他のスタイルガイドの推奨よりも優先される。また、投稿を予定しているジャーナルや分野で最近発表された論文を参照し、実際にどのように一人称が使われているかを確認することも、その分野の現在の慣習を理解する上で非常に有効である 13。学術界における慣習は多様であり、変化し続けているため、最終的には個別の文脈におけるルールを遵守することが、最も確実かつ適切なアプローチとなる。

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